夏目漱石は、100歳まで生きていればビートルズの来日を見ただろう。
歴史上の偉人たちがもし100歳まで生きていたとしたら、それぞれ何年まで生きて、どんな光景を目にしたか?
そんな仮定を、各方面の著名人たちに当てはめてみた。
近世以前の人々に関しては実感がわかないので近現代の、それも若くして亡くなった人を多めに採り上げた。
それではいきましょう。思いついたままに順不同です。生没年はウィキペディアのコピペなのであしからず。
あの人がもし100歳の誕生日まで生きていたら?
夏目漱石
1867年2月9日(慶応3年1月5日)- 1916年(大正5年)12月9日。
漱石が100歳になる年は1967年。
誰かが言っていたけれど、100歳まで生きれば漱石はビートルズを見てるわけだ。東京オリンピックも。
それを聞いて、こんなに近い時代の人なのかと驚いたことがある。この記事を書こうと思ったのも、その意外さがきっかけだ。
芥川龍之介
1892年(明治25年)3月1日 - 1927年(昭和2年)7月24日。
芥川龍之介は、生きていれば1992年に100歳になっていた。
芥川賞のプレゼンターとして自分で出てきたりして。
100歳の誕生日前の芥川賞は、松村栄子さん「至高聖所(アバトーン)」が92年1月の受賞。想定100歳時は藤原智美さん「運転士」が92年7月、多和田葉子さん「犬婿入り」が93年1月の受賞。
樋口一葉
1872年5月2日(明治5年3月25日)- 1896年(明治29年)11
樋口一葉は1972年に100歳。
新幹線が世界最速を記録し、上野動物園にパンダがやってきて大ブームになった年だ。
「たけくらべ」の作者が現代語で書いた長い作品も読んでみたかった。
正岡子規
1867年10月14日〈慶応3年9月17日〉 - 1902年〈明治35年〉
俳人・歌人にして大の食いしん坊の正岡子規は、漱石と同い年で1967年に100歳。
「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」の句は、前の晩に柿を食いながら「東大寺」の鐘を聞いた体験が元という説がある。
与謝野晶子
1878年(明治11年)12月7日 - 1942年(昭和17年)5月29日。
1978年に100歳の与謝野晶子。
君死にたまふことなかれ(日露戦争)→いまは戦ふ時である 戦嫌ひのわたしさへ 今日此頃は気が昂る(第一次大戦)→水軍の大尉となりて我が四郎 み軍にゆくたけく戦へ(第二次大戦)。
終戦を待たずして亡くなったけれど、戦後に彼女の書く詩や言論はどう変化しただろうか。
トーマス・エジソン
1847年2月11日 - 1931年10月18日。
なんとか大戦後まで生きた発明王エジソン。1935年の世界初のテレビ放送(ドイツ)を見て何を思ったか。オレが発明したかった、と思ったかな。
そのドイツの世界初のテレビ放送が意外な形で挿入される『コンタクト』は傑作なので見たほうがいいよ。
アルベルト・アインシュタイン
1879年3月14日 - 1955年4月18日。
アインシュタインは舌をペロッと出しているおじいちゃんの写真があまりにも有名だからか、おじいちゃんのまま1979年まで生きていてもあまり違和感がない。
マリリン・モンロー
1926年6月1日 - 1962年8月5日。
マリリン・モンローはこの記事を書いている2019年時点で存命。93歳。
93歳のマリリン・モンローは見てみたいね。ベティ・デイビスとリリアン・ギッシュの『八月の鯨』のような主演映画を見たい。
アンネ・フランク
1929年6月12日 - 1945年3月上旬。
アンネ・フランクは2019年時点で90歳。
自分でも不思議なのは私がいまだに理想のすべてを捨て去ってはいないという事実です。だって、どれもあまりに現実離れしすぎていて到底実現しそうもない理想ですから。にもかかわらず私はそれを待ち続けています。なぜなら今でも信じているからです。たとえ嫌なことばかりだとしても人間の本性はやっぱり善なのだと
―『アンネの日記』より (Wikipedia日本版より孫引き)
ここで語られている理想とはアンネ・フランク個人のものかもしれないけれど、歴史を振り返ってみて、人類として実現すべきだった理想とは何か、それはいま実現されているのかを、折に触れて考え続けることは大切なこと。
オードリー・ヘプバーン
1929年5月4日 - 1993年1月20日。
アンネ・フランクと同じ年の生まれで、若き日には対独レジスタンスにも参加していたオードリー・ヘプバーンも、90歳で存命。
アイルトン・セナ
1960年3月21日 - 1994年5月1
アイルトン・セナは生きていれば59歳。
59歳のアイルトン・セナは僕にはなぜか想像しにくい。
手塚治虫
1928年(昭和3年)11月3日 - 1989年(平成元年)2月9日。
手塚治虫は90歳。なぜだろうか、90歳の手塚治虫も想像しづらい。
僕が彼らと同時代を生きた記憶を持っているからか、それとも死後に伝説化する経過に接してしまったからだろうか。
手塚漫画を読んだことがない人は、『どろろ』『ドン・ドラキュラ』のような2,3冊で終わる作品か、短編から読むといいと思う。
ジョン・レノン
1940年10月9日 - 1980
ジョン・レノンは生きていれば69歳。
セナや手塚と比べてその姿が容易に想像できるような気がするのは、元ビートルズが年齢を重ねたその後を見ているからかもしれない。
尾崎豊
1965年(昭和40年)11月29日 - 1992年(平成4年)4月25日。
尾崎豊は53歳。個人的には生前に関心を持てていなかったけど、尾崎豊が50代でどんな曲を作っていたか想像するのは、わりと楽しい作業であるような気がする。
そろそろ50に差し掛かってまだなんだか若者の右往左往みたいな歌詞を書いている90年代Jポップの担い手たちにも、そんな作業を期待してみたい。
ここでとてもいいおじさんたちのうたをひとつ。
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ
1685年3月31日(ユリウス暦1685年3月21日) - 1750年7月28日。
J・S・バッハはヨハン・「ゼバスティアン」・バッハなんだね。ドイツ風の読みか。
バッハは100まで生きていれば、(史実ではその死後に生まれた)モーツァルトを聴いていただろう。
フレデリック・フランソワ・ショパン
1810
ショパンは1910年まで生きて、蓄音機に間に合った。
さらにもう少し生きれば、ブロードウェイのミュージカルもジャズの萌芽も目にしたはず。
チャールズ・チャップリン
1889年4月16日 - 1977年12月25日。
チャップリンは1989年に100歳。日本でいえばバブル真っただ中の平成元年だ。
バブル景気とチャップリン、当時を中高生として過ごした僕にはとてもしっくり来て、この両者を並べたときに全く違和感がない。
バブルの数年間には、軽薄な金満カルチャーだけでなくて、世界中のマイナーなものも含めた文化的果実の、大衆的なそして大規模な受容、そして再受容があったことはあらためて指摘したい。
経済力を背景にしていたとはいえ、あのような国民的な国際化の空気感は、いまはない。たぶん中国にあるんだろう。
ブルース・リー
1940年11月27日 - 1973年7月20日。
ブルース・リーは存命なら78歳。
僕は子供のころに「ブルース・リーはお尻におできができたのがもとで亡くなった」と近所の上級生から聞いて、以来なんとなく信じ込んでいたのだが、本当の死因は脳浮腫とされているらしい。お尻のおできとはどこから来た話だったのか。
キング牧師
1929年1月15日 - 1968年4月4日。
キング牧師ことマーティン・ルーサー・キング・ジュニアは、90歳存命。
亡くなってからまだ50年しか経っていない、とはすなわち公民権運動~人種差別解消運動の歴史は過ぎ去った過去ではなく、いまも多くの個人の中、そして人たちの中で一貫して続いているアクチュアルな課題だということでもあろう。
マルコム・X
1925年5月19日 - 1965年2月21日。
94歳存命。
スパイク・リーの映画(92年)の時点で67歳。なにかの役で出演しただろうな。
デンゼル・ワシントンなんだけどデンゼル・ワシントンに見えない。この人がマルコム・Xに見える。
ジャコモ・プッチーニ
1858年12月22日 - 1924年11
「トゥーランドット」の作曲家がプレスリーの登場を見ているとなると、脳内の時間軸がおかしくなる感じがする。
エルヴィス・プレスリー
1935年1月8日 - 1977年8月16
そのプレスリーは84歳存命。生きていて不自然でない年齢の間は、生存説も終息しないだろう。米国のある階層にとっては、古き良きアメリカへの郷愁の縁なのかもしれないな。
Bossa Nova Babyの中毒性のあるリミックス。こんなリミックスを集めたCDも出ている。
ジャン=リュック・ゴダール
1930年12月3日 -
存命です。うっかり検索してしまった。
夏目雅子
1957年(昭和32年)12月17日 - 1985年(昭和60年)9月11
生きていれば61歳。
61歳の夏目雅子さんも見てみたい。というか中年以降の女性の主演映画も作られてほしい。
ライト兄弟
兄ウィルバー・ライト 1867年4月16日 - 1912年5月30日。
弟オーヴィル・ライト 1871年8月19日 - 1948年1月30日。
100歳だと弟オーヴィルは人類が月に着陸してジャンボジェットが飛ぶ時代まで生きたことになるが、4歳年上の兄はどちらも見ていない。
ジョン・F・ケネディ
1917年5月29日 - 1963年11月22日。
若い大統領のイメージだが、それでも2017年には100歳。
チェ・ゲバラ
1928年6月14日 - 1967年10月9日。
91歳で存命。
そういえば、キューバとアメリカが国交回復したニュースのその後を聞かないな。
ローザ・パークス
1913年2月4日 - 2005年10月24日。
92歳まで生きた。亡くなったときのニュースを覚えている。
歴史上の人物だが、後半生は表立った活動は伝わってこなかったので、亡くなったときはまだご存命だったのかと思ったな。
アベベ・ビキラ
1932年8月7日 - 1973年10月25日。
87歳で存命ならエチオピアの名士だろうか、国連とかでもっと世界的な活動をしているかもしれない。まあ勝手な想像でしかないけれども。
円谷幸吉
1940年(昭和15年)5月13日 - 1968年(昭和43年)1月8日。
79歳で存命。JOCの役員、というか会長をしているのだろうか。しないでほしいが。
松田優作
1949年(昭和24年)9月21日 - 1989年(平成元年)11月6日。
70歳。俳優の70歳は若いから、まだ老け役ということもないのだろう。
渡辺謙より先にハリウッドで活躍していたかもしれない。
石川啄木
1886年(明治19年)2月20日 - 1912年(明治45年)4月13日。
啄木が1986年まで生きたとなると印象が変わってしまう。
啄木は高度成長期や80年代の日本でどんな句を詠んだのか。
小林多喜二
1903年(明治36年)12月1日 - 1933年(昭和8年)2月20
殺されなければ2003年に100歳の小林多喜二。
2003年なら、まだぎりぎり豊かな日本だった時代と言えるだろうか。
リーマンショックと震災を経た今なら二度目の蟹工船が書ける。
中原中也
1907年(明治40年)4月29日 - 1937年(昭和12年)10月22日。
2007年に100歳。21世紀の中原中也は、詩で生きて(食べて)いけたのだろうか。
山中貞雄
1909年(明治42年)11月8日 - 1938年(昭和13年)9月17
2009年に100歳。「人情紙風船」も「百萬両の壷」も面白かった。
50年代、60年代の映画黄金期にエンタメ現代劇を作ってほしかった映画監督だ。
一ノ瀬泰造
1947年(昭和22年)11月1日 - 1973年(昭和48年)11
72歳存命。カメラマンの72歳はまあ現役でやっている想像がつく。森山大道さんとか石川文洋さんとか80だものね。
瀧廉太郎
1879年(明治12年)8月24日 - 1903年(明治36年)6月29日。
1979年に100歳。明治はそんなに遠くない。
赤木圭一郎
1939年〈昭和14年〉5月8日 - 1961年〈昭和36年〉2
まだ80歳。石原裕次郎より5歳年下なんだな。
高橋良明
1972年9月2日 - 1989年1月23日。
歌手・俳優。バイク事故で亡くなった。初めて同世代の有名人が亡くなったので(結構あとになって知ったような気がするが)、よく覚えている。
俳優としては、10代向けのドラマで主演したりレギュラー脇役として出ていたような立ち位置の人だったと思う。
浮谷東次郎
1942年7月16日 - 1965年8月21日。
77歳存命。案外若い。70年代・80年代のモータースポーツ全盛期に、車・バイクメディアのご意見番みたいになっていただろうか。
古今亭志ん朝
1938年3月10日 - 2001年10月1日。
志ん朝も81歳で存命。晩年の語り口を聞くと、「世の中ついでに生きてたい」という名文句とはうらはらに、今ごろはちょっと厄介な感じのご意見番になっていたのではないか…という気配がある。
桂枝雀は存命なら80歳。枝雀さん80歳か。志ん朝さんより想像するのが難しいな。
談志さんは83歳。まああのままの感じの83才だろうな。
リヴァー・フェニックス
1970年8月23日 - 1993年10月31日。
49歳存命。若いね。2000年代以降のテイストの主演映画も見てみたかった。
ヒース・レジャー
1979年4月4日 - 2008年1月22
40歳存命。まだ若い。ジョーカー役の俳優は、その後の10年でどんなキャラクターと演技を残しただろうか。
シド・ヴィシャス
1957年5月10日- 1979年2月2日。
62歳存命。映像では見たことがないのでよく知らないのだけど、まだ62なら今も変わってなさそうだし、ファンも変わってなさそうだ。
いつだったか、ロックのライブのお客が高齢者ばかりになっているという記事を読んだ。おじいちゃん世代のパンクロック(を継承する音楽)も、今後新しい作品として出てくるのを期待したい。懐メロじゃなくて。
カート・コバーン
1967年2月20日 - 1994年4月5日。
生きていれば52歳。なぜか個人的印象では、この人は音楽じゃないことをしていても意外じゃないな。家具職人とか。
『ジョジョ』のスタンドにフー・ファイターズはあるのに、ニルヴァーナはないのね。
ネヴァーマインドの赤ちゃんが青年になった画像ももはやインターネット・ミームだが、さらに後の画像もあった。
ジャニス・ジョプリン
1943年1月19日 - 1970年10月4日。
ジミ・ヘンドリクスやローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズと同世代で、彼らと同じく27歳で死んだジャニス・ジョプリン。
生きていれば77歳。『パール』のインストの曲も完成していたはずだね。
そしてこれ。ニーナ・シモンのこれとてもいいよ。こんな歌は聞いたことがない。
ジョン・ベルーシ
1949年1月24日 - 1982年3月5日。
生きていれば70歳。僕はブルースブラザーズはもちろん知っていたけど、18歳までエイクロイドのほうをベルーシだと思っていた。
ざっと2000年代以降にハリウッド映画のテイストが変わる。その今世紀に入ってからの映画で、コメディ俳優として以外のベルーシも見たかった。
立原道造
1914年(大正3年)7月30日 - 1939年(昭和14年)3月29
2014年に100歳。仮定の姿が想像しにくいのは、彼らが詩人だからなのか。詩人とはそのようなものなのか。
金子みすゞ
1903年(明治36年)4月11日 - 1930年(昭和5年)3月10
史実においては84年に「再発見」される。その当時は81歳。再発見されるまでもなく、もりもり詩を書いていたかな。
力道山
1924年11月14日 - 1963年12月15日。
朝鮮語:역도산(ヨットサン、Yeokdosan / Yŏktosan)、朝鮮文化語:력도산(リョットサン、Ryeokdosan / Ryŏktosan)
Ryeokdosan→りきどうざん、ってことなのか。目から鱗だ。生きてれば94歳。プロレス界の大御所だな。
三島由紀夫
1925年(大正14年)
昭和と同い年の三島由紀夫。生きていれば94歳。中曽根康弘より年下か。
川内康範みたいな立ち位置で政治と関わったりしただろうか。
『豊饒の海』以後の小説を読みたいかと言ったら、個人的には、まあ、別にそんなには…。
逸見政孝
1945年2月16日 - 1993年12月25日。
フジテレビ、のちにフリーのアナウンサーだった逸見政孝さんも生きていれば74歳。
藤子・F・不二雄
1933年〈昭和8年〉12月1日 - 1996年〈平成8年〉
ドラえもんの生みの親も生きていれば85歳。しかしまだ85歳、という感じがする。レジェンド。
てんとう虫コミックスのオリジナル45巻から冒頭の1話ずつを抜き出した『ドラえもん 巻頭まんが作品45』は、絵柄の変遷とともに、お父さんの服装が着物から洋服になったりといった細かいところで時代の雰囲気を感じることができる。
金城哲夫
1938年7月5日 - 1976年2月26日。
特撮ファンと沖縄県民以外にはそんなに知名度は高くないかもしれない、ウルトラマンの主要脚本家の一人だった金城哲夫。
僕がいつも買い物に行くスーパーの隣がご実家なので、多少の親近感がある。生きていれば81歳。