『17歳』そして『17歳の軌跡』という2冊の写真集がある。
これは、80年代の後半に17歳だった市井の少年少女たちと、それから約10年を経て20代の終わりに差し掛かった彼らを時を隔てて再び撮影している、興味深い作品だ。
この2冊をを一緒に読むと、数十人の「17歳」が、片方の本では現在形として、もう一方の本では振り返られる過去として現れる。
『17歳』と『17歳の軌跡』の同じ人物のページを交互に読むことで、時間の遠近法がゆがんで、めまいがするような得がたい読書経験ができるのだ。
橋口譲二『17歳』と『17歳の軌跡』
撮影したのは橋口譲二さん。
ぼくは彼の『職』という写真集に接して以来、気になる写真家としてその著作を買い集めてきた。
『職』その他の写真集もとてもいいんだけど、今回は『17歳』と『17歳の軌跡』のお話を。
『17歳』
橋口譲二さんの著作には、無名の人々のポートレートと、彼らに対するインタビューを組み合わせたものが多い。
この『17歳』は橋口さんの写真集のそうしたフォーマットが形成される大きなステップになった作品らしい。当初『十七歳の地図』として1988年に発表され、大きな反響を呼んだ。ぼくが持っている『17歳』は、『十七歳の地図』と同内容で版を小さくして1998年に新たに出版されたものだ。
ざっと数えたところ90人(組)くらいの17歳の少年・少女たちの写真と、彼らに対する家族・将来・好きな音楽・お小遣いの額・最近買ったものなどのアンケート、そして聞き書きのコメントによる自己紹介文が載っている。
載っているひとたちには、成人に見えるような大人びた女の子もいれば、まだあどけない顔つきの少年もいる。部活動やバンドに熱中する高校生がいて、ヤンキーふうの子もいるし、すでに職業を持つひとの中には、舞妓さんがいてお相撲さんもいる。
ほんとうにいろんな17歳がいて興味は尽きないが、それぞれに未知の将来への希望や不安が見えるところが、この年代の共通点だろう。
世の中がバブル景気に差し掛かろうとする時期の撮影で、いまほど大学進学率も高くなく、17歳の多くが、生活とかひとり立ちということをすぐ目の前に迫っているリアルな現実としてとらえていたのだろう。
のちに宝塚でトップスターになる、姿月あさとさんもいる。
ハリウッド映画の主演女優にもなった工藤夕貴さんもいる。
そんな中に、ひとりで長期の旅をしていて西表島で撮影に応じた横浜出身の少年がいる。
彼は施設で育って中卒後に働きだしたが、あるとき職も住居も投げ捨てて旅に出た。この少年は『17歳の軌跡』には登場していないのだけど、その後どうしているのか気になる存在だ。
パイナップル畑で写真に写るその表情には何らの陰りもなく、その言葉にも濁りがない。どんな形であれ、今もきっとどこかで自由に暮らしているだろうと思える。
言葉がいいのだ。その外貌や境遇と同じく、17歳たちが語る言葉にも多彩でなおかつ強度のあるものが多くて、感心することしきりだ。
自分が17歳のころに自分についてこういう言葉で語れただろうかと考えてしまう。
写真を見れば一目で聡明さを感じる「17歳になんかなりたくなかった」1988年の少女は、11年後の1999年に再び撮影に応じて、『17歳の軌跡』の中でこう語っている。
私はあの中(引用者注:『17歳』)ですごく恵まれていて、そういうことをすごく当たり前だと思っていたけど、そうじゃない。自分の思っている当たり前とは違う、それも同い年の人がこんなにいるのかというのは、すごく思いましたけどね。だから、一生懸命勉強しなければならなかった
私はこの十年、結局なりゆきで来ちゃってる。行き当たりばったりで、こうなるとは思ってなかった。もっとも思いもよらなかった状態になってるな、とよく思います
『17歳』で現在を語り、そして将来を想像していた彼らが、それぞれにどんな人生に歩み出していったか。
『17歳の軌跡』ではそれがあきらかになる。
『17歳の軌跡』
2000年に発行された『17歳の軌跡』。
88年当時の17歳は、みな28~29歳くらいになっている。
この本に載っているのは38人で『17歳』の半分以下の人数になっているけれど、それにもかかわらず本の厚みはこちらの方が倍くらい分厚い。
それは橋口さんによる彼らへのインタビューが2段組みでみっちり詰まっているからだ。
『17歳』当時の写真と現在の写真の間に挟まれるインタビューがリアルで、ぼくはまだ全部を読み終えていない。
この2冊は、1冊ずつ通して順番に読むよりも、ひとりずつ、17歳時点と20代後半時点の語りを交互に読むと、時間の遠近感があっというまにゆがんで、人生の不思議と現実の重量感をめまいのうちに体感することができる。
今、どうしていますか?
あなたは、どこでどう生きていましたか?
そうした問いに、再撮影に応じた彼らは真摯に答えていると思う。
相撲取りだった少年は、引退して板前の修業をしている。
チェロを弾いていた女子高生は世界的なチェリストになっている。
パイナップル畑の少年は、別の女性のインタビューの中で「三年前までは石垣島にいた」ことが明かされている。
工藤夕貴さんはロスでインタビューを受けている。
将来は美容師になりたいといっていた、おとなしそうだけどちょっとヤンキー風の少年は、実際にチャラいイケメンといったルックスの美容師になった。
結婚して子どもがいる人もいるし、いまだ迷走中といった雰囲気の人もいる。
しかし17歳のときになりたいと語った職業についているひとが、意外にも多かった。それも小説家やミュージシャンのようなわりと特殊といえるような職種でも、10代の夢を実現させているのが頼もしい。
そしてまた彼らが、たまたま同じ写真集に載った同い年のひとびとを、折に触れ思い出しながら生きてきたことが複数のインタビューから垣間見えるのが、読んでいてなぜかうれしいのだ。
17歳のときには鮮魚店で働いていてのちに鉱山会社に勤める青年は、こんなふうに語っている。
あとは、それぞれ違う場所に行ったら、いろんな面で『17歳』の人にめぐり会えるように祈っています、私も。本に載った人たちに、その人たちにまた会えるように祈ってますので。
沖縄のハーフの子(大城エミリーさん)がいまも沖縄にいることを橋口さんに聞いて、
「そのまま? 元気だらばいいです。一番気にしてました」
と彼はいう。
彼に限らず多くの若者がこんなふうに、どこかで自分以外の人たちのことも気にかけて生きている。
『17歳』のあとがき的なエッセイの中で、橋口さんは、
「社会がひとつの方向へ流れ出していこうとしている日本の隅々に、「多様な存在の個」が間違いなくあった。」
と書いている。
読んでいて確かにそんなことを実感できる写真集だ。
現在の若者とこの写真集に出てきたひとたちの世代には時代の隔たりがあるけれど、いまの若い人たちにも、この写真集を見て、読むことで、自分と同じ世代の人たちの境遇について、あらためて具体的な顔の見えるイメージを持ったり、さらに深めるようなことができるのではないだろうか。
そしてそのイメージは、ひとつの人生の中で長く失われずに保たれるだろう。
2冊の本を別々の時期に買ってからつい最近まで、この表紙の二人の女性が同一人物だとは夢にも思わなかった。
同じようなポーズで撮っているのに、並べてみるまでまったく気が付かなかった。
人生は進むし、人の居場所も見た目も変わる。そのときどきで考えも変わっていくだろう。でもその人の中で変わらずにあり続けるものもたぶんあるのだ。