久野遥子さんの『甘木唯子のツノと愛』を読んだ。
心理ファンタジー+作品によってはSF風味の4短編で、年代に多少の幅はありながら、いずれも「少女」を中心に置いている。
そしてなにより、絵が(とても)うまいのが魅力だ。
『甘木唯子のツノと愛』の「少女」たち
短編集『甘木唯子のツノと愛』
収録作は以下の4作。著者初の作品集であるという。
- 透明人間
- IDOL
- へび苺
- 甘木唯子のツノと愛
発表の一番古い「透明人間」からして驚くほど絵もうまくて画面構成も魅力的なのだけれど、お話としては、2番目に置かれた「IDOL」が最もわかりやすい。
ウルトラマンのように巨大化して、街にあらわれた怪獣を倒すアルバイトをしている女子高生が主人公で、彼女と小学生の頃の担任教師との交流が主なストーリーとなる。
大きい少女と小さい少女を配置して、主人公が最後に叫ぶせりふによってテーマがカチッと音を立てて目の前に現れるような巧みな短編だ。
その序盤に、このようなナレーションがある。
”2037年 異常気象の影響で 急増した怪獣”
”そこで ある企業が 巨大化装置を開発”
”その装置によって 巨大化した女子高生が 怪獣を駆除する姿は 話題を呼んだ”
”その一方「女子高生 である必要はあるのか」 と疑問の声も 上がっていた…”
「女子高生である必要はあるのか」というこの指摘は、ここ四半世紀かそこらのエンタメの状況を広く見たとき、クリエイターが軒並み「少女」モチーフに寄りかかりすぎている状況に対する、直截な批評にもなっているだろう。
この作品集自体もその批評から完全に逃れられているわけではないのだけれど、それでも安易・凡百な「少女」の表象を揺さぶり、奥行きを与えようとする内容と絵柄を持つ短編集であるように思う。
コミックビーム
コミックビームは雑誌を見たことがないのだけど、コミックスのほうはたまたま興味を持った作品がビームコミックスだったりして、漫画一般に敏感ではないぼくにしては、なぜか縁があるように感じている。好みに近いのかもしれない。
著者一覧を見ても、作家性の強めな作者が比較的多いように思われる。
編集長インタビューにも、独特の姿勢が垣間見える。
―― 私はビームというと濃いマンガを連想しますが、その濃さはどこから来てるのでしょうか。
ビームが濃くみえる理由の一つは、作家の個性に賭けているからですね。作家さんの個性に賭けるって言うと、かっこよく聞こえるのですけど、実は一番コストが安いんですよ(笑)。
『テルマエ・ロマエ』が典型ですが、作家さんが好きで、自分でずっと古代ローマについて勉強なさっていたわけですよね。そうして溜め込んでいた知識や熱意を、作品にぶち込んでいる。ですから、ある作家さんが、世間的なバランスを失するくらい強い関心を持っているテーマがあって、それがメジャー誌ではなかなか描けないようなことだったとしても、ビームなら描ける、ということは言えると思います。
こうした環境で初の作品集を著した久野遥子さんに今後も注目してみたい。