20世紀に書かれた小説その他の文学作品から、年度に1作ずつセレクトしてみる企画を始めようと思う。
まずは20世紀初頭の小説を、ネット上で読める短いものの中から選んでみた。紹介している作品はいずれも青空文庫その他に全文がある。
初回は1901年から1909年までの9年間の作品からピックアップした。様々な文体が絢爛としていた20世紀初頭だったようだ。
1901年~1909年のおすすめ短編
文学史的な価値判断はひとまず置いといて、短い時間で読めるもの優先、そしてひとり1作ということを考えて年別に作品を振り分けてみた。
年度は初出・刊行年・推定執筆年などに基づいていて、なるべく初出に統一したいと思っているけれど、基準が一貫していないのであしからず。
1901『牛肉と馬鈴薯(国木田独歩)』
20世紀最初の年は、「武蔵野」が有名な国木田独歩の「牛肉と馬鈴薯」を。
作中では牛肉が象徴する享楽的な生き方と、馬鈴薯(ばれいしょ。じゃがいものこと)が象徴する、若干空想的な理想の生き方が対立する。
…のかと思ったら、お話は後半に至って太宰治の「トカトントン」を連想させるような展開を見せる。
1902『旧主人(島崎藤村)』
島崎藤村初の小説は、不倫と接吻の現場を描いて発禁に。
藤村ってこんな文章を書く人なんだね。
引用は、夫が語り手でもあるその使用人に導かれて、妻の不倫現場を目撃してしまう場面。
1903『もゝはがき(斎藤緑雨)』
1903年からは、斎藤緑雨が新聞に連載したこぼれ話コラム的な文章「もゝはがき」。
引用はそのところどころを抄出している。「有難メの字」は自分でも使いたくなってしまう。
1904『ひらきぶみ(与謝野晶子)』
「君死にたまふことなかれ」の厭戦詩を、評論家の大町桂月に難じられた晶子が返した文章。
「ひらきぶみ」とは、申し開きか、公開の上の堂々たる返答か。
1905『団栗(寺田寅彦)』
寺田虎彦の「団栗(どんぐり)」は、短編アンソロジーにもよく収録される佳品。
緑雨や晶子の文体とはずいぶん違う、平易な文章だ。
1906『千鳥(鈴木三重吉)』
「自分」の「藤さん」への淡い恋心はどこへ行きつくか。
物語はスケッチのように淡々と進み、終盤に動き出して、最後に深いため息をつかせる。
1907『風流懴法(高浜虚子)』
高浜虚子も小説を書いている。これは「ふうりゅうせんぽう」と読む短編。
引用したのは13歳の舞妓と13歳の小坊主の会話部分。ああかわいい。
かわいいながらも、反面こうして幼くして職業人になっていく境遇を思ったりして、胸が苦しい。
続編もあるようなのでいつか読んでみたい。
この年の作では、山手線目黒駅員の四季を描く『駅夫日記(白柳秀湖)』もいい。
1908『坑夫(夏目漱石)』
漱石からは、短編じゃないんだけど『坑夫』を。
濃いもやと雲の中を歩きに歩いて奥深い山に入り込み、さらにそこから地中深くへ潜っていくと迷路のような世界があった。
主人公はそこで出会った名主のような男に説諭を受けて帰還する。
村上春樹さんが好きな小説だと聞いたときは、いかにもらしいと思った。いるかホテルもそんなふうじゃなかったっけ。
家で読んでいるのに家に帰りたくなる”異世界”小説。
1909『奈々子(伊藤左千夫)』
伊藤佐千夫は「野菊の墓」が有名。僕は野菊の墓はすっかり忘れてしまったのに、この「奈々子」は記憶から去らない。
ほかにも「紅黄録」など短くていい小説を多く書いているので、伊藤佐千夫も読んだほうがいいよ。
まとめとか
青空文庫に収録されている作品を中心に、とりあえず1950年くらいまで5回に分けて書いていく予定。
2018年末に著作権の保護期間が作者の死後50年から70年に延長されてしまって、20年分の作品群への手軽なアクセスが遠のいてしまったのを一読者として残念に思っている。