以前から気がついてはいた。不思議だなと思ってもいた。
夜寝るときには部屋の明かりを消して、ベッドに横になり、真っ暗な中で目を閉じる。いつも通りだ。もちろん室内の光景はなにも見えないが、この状態で顔の前で手をひらひら動かすと、なぜかその手の動きがはっきりと見える。暗闇のなかで目を閉じているのに。
これ、昼間ならまだわかる。光が手にさえぎられて影ができれば、薄いまぶた越しに、人の視覚は十分それを感知できる。
でも夜でもそうなのはちょっと不思議ではないだろうか。真っ暗な部屋で目を閉じていても、かなりくっきりと手や腕の動きがわかってしまう。なぜ見えるのか。なにが見えているのか。これは「身近な不思議」と呼ぶに十分な現象だと思う。
今回はこの現象についていろいろ実験してみたので、ぜひあなたも試してほしい。
暗闇で目を閉じてもまだ見えるのはなぜなのか?
こんなふうに見える
夜、カーテンを閉じて電気を消した部屋の中で目を閉じていても、顔の前で手を動かすと自分の腕の動きがよく見える。
こんなふうに見える。
部屋の中の明かりは完全な闇ではないが、光はごくわずかだ。電源タップについているスイッチボタンと、USBハブの通電を示す明かりのみ。目を開けていても椅子を蹴とばしてしまわないようにそろそろ歩くくらいには暗い。そんな状況で目を閉じていれば、なにも見えないのが普通じゃないかと思うんだけど…。
さらに暗くしてみる
暗い部屋でベッドに横になって、目を閉じたうえに、さらに顔の上に4つに畳んだタオルを置いてみた。そうして顔の前で手を動かす。
見え方はいくぶん曖昧になったが、それでも腕の動きはわかる。右から左へ、左から右へ、上から下へ行くと見せかけて、もう一度上へ。そういうのが全部わかる。
これでもまだ、閉じたまぶたの内側に光が届いて、それが見えているのだろうか。人の目はどれくらい光に敏感なのだろうか。
アイマスクを買った
アイマスクを買った。
けっこういいやつだ。100均のよりサイズも大きいし、隙間になりやすい鼻の部分もワイヤーでフィットさせることができる。昼間でもしっかり外光を遮断するので、周囲が明るい場所でも眠れるというふれこみのもの。
昼間に部屋の明かりをつけて、このアイマスク越しに天井のLED照明を見てみる。アイマスクをしないと眩しくて目に悪そうなくらいだけれど、アイマスクをすると、電球の位置すらわからないほど真っ暗になる。
夜を待って、暗闇、アイマスク、その上にタオル(4つ折り)という条件で試してみた。
うすぼんやりとはしているものの、なんとまだ腕の動きは見えていた。
グー・チョキ・パーまでは判別できない。ただ、手のひらのある位置あたりでなにかもやもやしている感じには見えるような気がする。
絶対に見えないようにしてみる
さらにもう少し頑張ってみた。
- 夜間、部屋の明かりを消している
- 目を閉じている
- 高性能なアイマスクをしている
- その上に畳んだタオルを置いている
- さらにその上を左手で覆っている
- そこに毛布を掛けている
いくらなんでも見えるわけないだろうと頭では思うのだけど、こうまでしてもやはり、手が行ったり来たりするのが見えた。
遠い星の光が数千年の旅をしていま地上に降り注いでいるように、このいくつもの障壁を乗り越えて、光の粒は視神経に届いているのだろうか。だとしたらそれをキャッチする目もすごい。
重ねたダンボール
さらにこの現象を検証しようと、ぼくは翌日、頭のどこかでばかみたいと思いながらも、ダンボールを用意した。
Amazonの箱を壊したダンボール。2つ折り。
昼間、これを顔の前にかざして明るい窓の外を見てみたが、当然ダンボールの向こうは見えない。見えるわけがない。これで見えたらおかしい。
外の風景はやはり何も見えない。空も見えないし家並みも見えない。ダンボールしか見えない。当たり前である。
しかし、昨晩やったように目を閉じて、この板を隔てて手を動かしてみると、、、えっ、これ見えているのでは…。
見えている。わりとはっきり腕の動きが見えている。
これは困ったな。どうしたものか。
鉄板透視
なにか完全に光を遮蔽するものはないかと部屋を見渡して、これを見つけた。
書籍のデジタル化作業で使っている裁断機だ。
これの平面部分は鉄の板でできている。鉄板は光を通すはずがない。
ぼくはなぜか顔が笑ってしまうのを感じつつ、これを右手に持って顔の前にかざし、呼吸を整えて目を閉じ、鉄板の向こうで左手をゆっくりとワイパーのように動かしてみた。
ぼくはここでため息をついたかもしれない。まぶたと鉄板のあちら側で、腕のシルエットが動くのがやっぱり見えていたからだ。不思議としかいいようがない。これはもう、人の目の敏感さとかいう話ではなくなっている。
そしてまた夜になった。
しみじみ滑稽だとは思ったが、昨晩のアイマスク+タオル+左手+毛布のセットに、今夜はさらにダンボールと鉄板を加えて、同じことを試してみた。
消灯して瞑目したうえで、アイマスクをし、タオルを乗せ、毛布をかぶり、2枚重ねのダンボールを置き、鉄板をかぶせ、その上から左手で覆うようにして支えた。
これだけ載せると顔も重かった。
そしてそれでもやっぱり、右手のぼんやりした影の動きは見えてしまった。逆の右手で鉄板を押さえて左手の方を動かしても、気のせいではないレベルではっきりと左手の動きが見えた。
なんだこりゃ。ぼくにはもうわからない。超能力、透視能力ではあるまいし。
これっていったいなにが見えているのか
この実験で「見えた」ものは何なのだろうか。
1.実際に手の動きが見えている、つまり視神経が障害物の向こうの明暗差を感知できている。これはまあ、今回の実験で遮光が完璧ではなかった可能性もふまえてだけれど、とにかく目で光をとらえていたとする仮説だ。
光が障害物の裏に回り込む回折という現象もあるので、完全に頭を覆わない限り、明るさの変化は鉄板の裏にも伝わるのかもしれない。
2.気のせい ぼくが腕の動きに合わせて映像を「想像している」だけという仮説。それならそれでいいんだけどね。
3.別の神経信号を知覚している。見えているのではなく、腕の動きに合わせて脳が映像を作り出している仮説。つまり視神経ではなく、ほかの運動神経などからの信号が、脳の中で視神経に入り込んで、ぼんやりとした映像として認識されているのではないかという説。
「共感覚(synesthesia)」というものが知られている。音階に色彩を感じるような、あるいは特定の数字に特定の色が付きまとって知覚されるような、ごく一部の人に見られる特殊な感覚のコンビネーションだという。
そこまで特殊ではなくても、ヒトの体内で視神経と運動神経が並走していたら、後者の信号が前者に感知されるというようなことがあるのかもしれない。今回の場合、手の運動とか微妙な音響の変化とかが脳の中で視覚としてリニアに処理されていたのだとしたら、(ありそうにはない話だけれど一応、)説明はつく。
そんなことを考えながら試しに細い紙筒を顔の前で振ってみたら、その3倍くらい太い腕ほどにははっきりとはしないものの、その動きはわかった。
無機物の動きが見えるなら、暗闇で目隠しした顔の前で他の人が手を動かしてみせた場合にも、それがわかるのではないだろうか。ご家族のいる方には今夜にでもぜひ、見えるかどうか協力して検証してみてほしい。
コメント