読書の秋ですね。
先月から今月にかけて、ぼくは電子書籍で村上春樹さんの『1Q84』を読んでいた。
何か月か前にKindle本のセールで買ってあったものだ。
しばらく積読のままだった本だけど、いったん読み始めてしまうとこんどは一日も早く読み終えてしまいたくなり、熱心に読んだ。
英語で小説を読んでいると、ぼくにはどうも読書がレジャーではなく、タスクみたいに感じられてしまうようだ。
ちとがんばりすぎたのか、これを読んだあとに昼寝をしたら英語で夢を見たこともあった。
未読の読者にもなるべく差しさわりのないように、この作品のイメージを点描で紹介してみると、
- ストイックな女性主人公
- 裕福で上品な未亡人
- 係累や交友関係の少ない男性主人公
- ミステリアスな真実を語る美少女
- 肉体関係だけのガールフレンド
- この世界とは違う別の世界の存在
- 死
- 謎の団体からのメッセンジャー
- 意味深なフレーズの使い回し
- ヤナーチェクのシンフォニエッタをはじめとする、多数の音楽や映画や文芸作品への言及
…とまあキャラクターや道具立ては、やはりこの作家らしいものと言えるだろう。
さすがといいたい周到な構成力で、読んでいて退屈するようなことは決してなかったけれど、(おもに性的な叙述では)いったい何を読まされているのかと感じるような部分もあって、長距離走者おじさんの趣味と生理に延々——慣れない英語で読んでいるだけに本当に延々——付き合わされたという印象もまた残った。
この人の、積極的な女性とは対照的に男性側の主体性を巧みに回避した性行為の描写は、いつも気になってしまう部分だ。
それでいて若い女の子と見れば、初対面でも言葉を交わす前から胸の大きさと形をジャッジしていて、またそれかよと思ったりもした。
(まあでも、基本的にはとても面白かったです。)
英文そのものは読む前に身構えていたよりもずっと易しいものだった。
確かに難しめの単語もときどき出てきはしたものの、KindleのWordWise機能や単語タッチで辞書が引けたこともあり、読書の妨げにはならなかった。
そして訳出の方針なのだろうか、見たことのないような「熟語」や「イディオム」はそんなには出てこなかったようだ。
でももし紙の本で読んでいたら、最後まで読み通せたかどうかはかなり怪しいと思う。Kindleに助けられたことは間違いない。
小説の文章という点では、原作を読まずに英語版だけ読んでいるからなのか、春樹氏の作品の特徴的な語彙や語り口が持つ、コリっとしたエッジめいた部分は案外少なく、調子もやや平坦に感じられた。
これは英語に翻訳するときにニュアンスの部分が失われているのかもしれないし、単純に英語の文章からぼくが受け取れるイメージの分量が日本語より少ないせいかもしれない。
作中の登場人物たちが、自分の経験したできごとについて常に内省的な反芻を続けていて、同じ事情についても二度、三度と繰り返し読むことになったという理由もあっただろう。
実際はどうだかわからないけれど、「ここのslightlyは原文ではきっといささかだろうなあ」と思うようなことはよくあった。
物語そのものについて言えば、『海辺のカフカ』などとは違って、よく理解できない部分があとに残される感じは、今回かなり少なかった。
むしろ終盤では、片付けすぎというか、クライマックスに至る前に一旦理屈で整理しようとしているのではないかという印象さえ持った。
この作品に限らず、英語の電子書籍で不便な点として、「そういえばあの場面のあの文章って具体的に英語でどういう表現をしていたかな」と思って当該箇所を探そうとしたときに、とても見つけにくいことがある。
電子書籍ではまずページをぱらぱらめくるということができないし、また英語が表意文字ではないこともあり、日本語のように字面を眺めていくだけでは、探したい箇所を発見しにくい。この点では面倒——としばしば諦め——があった。
日本語の原作単行本は3巻組みで、総ページ数は556+504+604で計1664ページ。
よく読んだものだ。作品の感想についてはこれから固まってくるのだろうけど、それ以上に、これだけ長い作品を英語で通読できたという事実そのものが、のちの自分にとって糧になりそうな予感がする。
とりあえず今は自分で自分をほめておきたいと思います。