いつのころからか、冬になると、短くて心温まるような小説を読んでから寝るのが自分にとっての習慣になっている。
今年はまず三浦哲郎さんの『完本 短篇集モザイク』を選んでみた。
この本には全部で62篇の短い小説が収録されている。
冬のナイトキャップ代わりに毎晩少しずつ読んでいこうと思っていたのだけれど、一篇一篇が短いのも手伝い、読み出したらどんどんあとを引いて、結局寒さがやってくる前に全部読み終えてしまった。
今はそのたくさんの印象的な場面を思い返しているところだ。
三浦哲郎『完本 短篇集モザイク』
ぼくは三浦さんの作品では学生時代に「忍ぶ川」などを読んだきりだった。
今回読んだ短編集では、どれも最低限の道具立てで、人生の多彩な切り口を見せてくれた。
その中で特に心に残ったものをいくつか紹介したい。
とんかつ
東尋坊にも近い旅館に現れた、どこか怪しげな母子連れの客。従業員の憶測は止まらないし、女将もやっぱり気掛かりだ。そして翌日になって、彼女たちが見たものは…。
高校の国語教科書にも載っているという、ごく短い枚数で少年の成長する姿を描いた印象的な作品だ。
ちなみに中学の国語教科書に採用されていて「えんびフライ」「しゃおっ」がいつまでも記憶に残る短編「盆土産」は、中公文庫の『盆土産と十七の短篇 』に収録がある。
ひがん・じゃらく
「じゃらく」(雪まじりの春の嵐)の前触れが心の奥底から引き出した、戦時中の淡い恋に似たもの。説明しがたい感情に突き動かされた経験の記憶がよみがえる。
マヤ
偶然出会った、ませた様子の幼い女の子にせがまれ、自分の郷里に連れ帰ってしまう青年。
オーリョ・デ・ボーイ
野球部部長の口を無意識に突いて出たポルトガル語と、甲子園の大舞台でシートノックを行うことのプレッシャー。末尾の描き方が印象的だ。
じねんじょ
街のフルーツパーラーで芸妓は、とうに死んだと思っていた父ちゃんに会う。そのひとつのイベントをじねんじょが激しく現像する、アメリカのミニマリズム小説を思わせる短篇。
ねぶくろ
婆さんは年の暮れになると、市にある家から、村の実家に帰省するのが常だった。嫁に疎まれて追い出されるのだ。
しかし今回は村にも居場所のなかった婆さんは、最終的に駐在所の納戸の中に敷かれた寝袋にたどり着く…。
かきあげ
老人がふとしたことから近所の不良と対立してしまう。肩に横文字の刺青があり、むかし船乗りだった経歴を持つ彼は…。
これをもっと大掛かりにすれば、ハリウッド映画にしばしばみられるストーリーの始まりにも見える。
てんのり
妻の結婚前のある経験を聞いたことがきっかけで、家を出て、過去に向かって歩き出した老人。
どこかラテンアメリカの小説みたいでもある。
たきび
幼なじみの女の子の目を傷つけてしまった、焚火の思い出。その女の子は成長して今は…。
若い作家が書きそうなドラマチックな話でもあるけれど、結末はしみじみとした場所に置かれている。
メダカ
マンションに一人暮らしの美智は、なにか小さな生き物を飼ってみたかった。
10匹ひとまとめで買ったメダカは次第に数を減らしていき、自分自身にもまた人生の転機が訪れる。最後に残ったのは一匹、そして…。
よなき
過疎の村でどこからともなく聞こえてきた、そのあたりにはいるはずもない赤ん坊の声に誘われて、夜中の道に迷い出てくる老婆たちが見たものは。
てざわり
スーツを仕立てる腕のいい職人は、男性の持ち物がズボンの右・左どちらに収まるか、客に感づかれないようにさりげなく確認するための熟練の技術を持っている。その精妙な技術を「金癖をとる」と呼ぶ。
しかしある日テーラーにやってきた客からは、なぜか最後まで金癖を取れなかった。いくぶんプライドが傷つきながらも、自分の仕事を全うしようとする店主は、昔の師匠に相談に行くのだが…。
みのむし
病身のたけ婆さんは、入院中の病院から一時帰宅を許される。
懐かしい家はそのままだったが、折からの凶作がきっかけとなったものか、連れ合いの爺さんは深刻な認知症を患っており、息子の妻も家から逃げ出していたのだった。
そこから先のたけ婆さんの行動が淡々と描かれ、映像的なラストシーンには、儚く、また厳しい死生観がよく定着されている。
ぜにまくら
こちらは「みのむし」とはまた逆に、死を内包したたくましい命の賛歌を感じさせる作品だ。
いれば
敦煌の莫高窟を訪れた日本の長老文化人たち。老人たちそれぞれの入れ歯の描写が、ユーモラスでありながら切れ味鋭く人間の姿を形象化している。
おもしろうてやがて悲しき入れ歯かな。朗らかさの中に迫力と悲しさが宿っているのがいい。
チロリアン・ハット
ある店主から、彼の弟の形見という帽子を譲り受けた。その帽子をかぶって気楽な散歩に出たのだが、まるで死者の魂に呼ばれるようにして、彼は予定にない山道をふらふらと登らされていく。
パピヨン
神経を病む妻が、初めて子犬を飼った。その子犬パピヨンのおかげで、家族の雰囲気は和やかなものになったし、妻の病気もよくなっていくように感じる。
ある日パピヨンを散歩に連れ出した彼は、公園で出会った小さな女の子にせがまれ、つい引き綱を預けたのだが、しばらくして戻ってきた女の子はパピヨンを連れていなかった…。
キャベツ畑を舞い飛ぶ紋白蝶の中に犬のパピヨンを幻視するラストシーンが、読む者の胸に苦しく迫る。
わくらば
山荘の白樺林で降り落ちてきた落ち葉の模様から、父の記憶が引き出される。
自分が突然文筆を志したように、父もまた若い頃に、相撲取りになると言って出奔した過去を持つ人だった。
めちろ
青い目の西洋人形の来歴の背景に、日本のたどった戦前戦後の歴史が透ける。
小さな間口から、簡潔な筆致で奥行きの深い世界を展望して、名もなき人々の生涯さえもその内に描いてみせている、柄の大きな短篇だ。
文庫版や別の短篇集との相違
三浦哲郎さんの『短篇集モザイク』は、新潮文庫でも『みちづれ』『ふなうた』『わくらば』の3分冊で刊行されている。
今回読んだ単行本版は、その既刊の3冊の内容をまとめて、新たに「カフェ・オーレ」「流年」「山荘の埋蔵物」を追加したものになる。
また中公文庫から出ている『盆土産と十七の短篇』の18篇のうち、『完本 短篇集モザイク』と重複しているのは「とんかつ」と「じねんじょ」の2篇。
教科書や試験問題の中で三浦作品に出合って全文を探している読者は、こちらの方に収録されているのが見つかるかもしれない。