5月14日がブルーズ・ミュージシャンのB.B.キングの命日だということで、思い出した友人のエピソードがある。
B.B.キング(1925年9月16日 - 2015年5月14日)
その昔、高校時代、われわれ男子生徒は昼休みになると学校の近くの食堂で昼食を食べたり、グラウンドを取り巻くコンクリートのスタンドに何人かずつ集まって、のんびり木陰で涼しい風に吹かれながら、買ってきたパンや唐揚げ弁当を食べることもあった。
思い出したのは、昼休みにそんな木陰で飯を食いながら聞いた話だ。
友人の名を仮にO君とする。
洋楽ロック方面の音楽が好きだった彼は、ある日、県内でB.B.キングの公演があることを聞きつけて、それを見に行ったのだという。
正直いって彼はそのときは、B.B.キングについてまだよくは知らなかったらしい。
でも、大好きなロックスターたちがこぞって敬愛するブルーズの大立者を間近で見られるとあって、勇んで出かけた。
事前には大がかりな宣伝もなかったらしいから、なにか、それを見に行けるようなつてでもあったのかもしれない。
オープニングアクトが終わり、大人数のバックバンドが延々と終わらない演奏を続けて会場を盛り上げるなか、マイクパフォーマンス担当が「ビィィーー、ビィィーー、キィーーーング!」と声を張り上げると、ついにひとりの黒人のおじさんが袖からステージの中央に歩み出ておもむろに演奏を始め、唄いだした。
これがB.B.キング! 前座とはレベルの違う華麗なギター演奏で、米国人の多い会場も一気に盛り上がったという。
初めて生で海外のミュージシャンを、それもあの有名なB.B.キングを見ることができた感動に、いつもはクールな友人も胸が震えた。
曲の演奏を終えるとキング氏はいったん奥へ下がった。
しかしバックバンドは演奏を止めないし、マイクの司会者もさらに英語で煽ってくる。
唯一聞き取れた「ビィィーー、ビィィーー、キィーーーング!!」の声ともに友人が目にしたのは、さっきの黒人とは別の貫禄のあるおじさんがギターを持ってステージに上がってきて、違う曲の演奏を始める姿だった。
なるほど、さっきの人じゃなくてこの人がB.B.キングなんだな、と思う友人の予想はどうやら当たらなかったらしい。
その一曲が終わると、三たびの「ビィィーー、ビィィーー、キィーーーング!!」の掛け声とともにステージに似たような風格のある黒人のおじさんが現れ、唄い、ギターをかき鳴らした。
その後も「キィーーーング!!!」の絶叫とともに次から次へと黒人の太ったおっさんが登壇してきては、別の歌を唄い、演奏することが繰り返された…。
結局どの人がB.B.キングだったのか、O君は確信を持てないまま帰宅したという。
「たぶん最後に出てきたのがB.B.キングだったと思う」
と眩しそうな目で青空を見つめながら、彼はクールにつぶやいた。
そんな話を、われわれは木陰でそよ風に吹かれながら聞いた。
当時17歳前後の少年の語った話としてとてもいい話だと思う。
少年後期の「対象のまだはっきりしない、世界や人生や美しいものへのやみくもな―しかしピュアな―憧れ」が、きれいに込められたエピソードだ。
われわれは当時いつも似たようなメンバーでお昼を食べたり下校したりしていたように思うけれど、その間いったいどんな話をしていたのか、思い出せることはもう少ない。
空想的な話だけれども、仮にあの頃の雑談をカセットテープかなにかに録音したものが大量に発掘され、売りに出されていたとしたら、ぼくは多少高くても買ってしまうな。
15年、20年、25年と古酒のように熟成されるほど、高い値段でも買っちゃう。
(いまだったら、スマホのメモリーにいくらでも録音できるし録画できるから、その気になればこういう「タイムカプセル」を自作するのも容易だろうね)
この話を聞かせてくれたO君とは大学でも一緒で、教養課程時代、ぼくが車の免許を取るまでは、帰りの時間が合えばバスの本数の多い大通りまで車に乗せてもらうこともよくあった。
そしてそのときカーステレオから流れていた曲は、ローリング・ストーンズだったりブランキー・ジェット・シティだったりした。
彼とは大学卒業以来会っていないけれど、いまでもロックを聴いているだろうか。