その作品は、1980年代後半のバブル期に、週刊モーニング誌上で連載されていた人気漫画である。
日ごとに経済的な豊かさを増していく華やかな時代性を色濃く反映した独自の作風で、
主として都市生活を舞台にしており、ときに男女の織りなす日常の一断面が詩的に描かれていく、
4ページないし6ページからなる、あと味さわやかな1話完結型の短編漫画。
そう、前川つかささんの『大東京ビンボー生活マニュアル』のことだ。
あの時代のもうひとつの側面『大東京ビンボー生活マニュアル』
わたせせいぞう『ハートカクテル』との共通点
『大東京ビンボー生活マニュアル』は、1986年から1989年にかけて講談社の漫画雑誌「モーニング」に連載されていた作品だ。
1983年から1989年に連載されていたわたせせいぞう『ハートカクテル』と並走するように、同じ時期に同じ雑誌に載っていたことになる。
この2作品において、登場人物たちの生活様態は対照的ともいえる。
しかしこの両作品はその情緒の質感においても、ナレーションを効果的に使ったり、起承転結の最後に引きの絵の大ゴマを持ってきて余韻を残す手法などの作品の構成の点でも、実はよく似ていると思うのだ。
「時代の産んだ一組の双生児」と、あえていえなくもない。
とはいえ、最後のコマに挿入されるナレーションが『ハートカクテル』の場合にはたとえば
「そしてカノジョは/マスカットの香りの/風の方へとハンドル/を切った」
であるのに対して、本作では
「きのう消えた/オレの(弁当の:引用者注)シャケは/台風が去ったその日/もどってきた」
なのだから、双生児であるとしたら、まあ二卵性のイメージが妥当かもしれないけど。
作品の時代背景
1989年といえばぼくが高校1年生だったころで、当時ぼくもモーニングの『沈黙の艦隊』『ハートカクテル』『OL進化論』などはコンビニの立ち読みでよく読んでいたんだけど、この『大東京ビンボー生活マニュアル』の存在は2,3年前まで知らなかった。
去年初めてこの作品を読んで、忘れていたけどこんな感じもたしかに、バブルと呼ばれたあの時代のひとつの断面だったなと感じたのだった。
主人公のコースケ青年は定職にはついていないようで、ときどき単発のアルバイトをするエピソードが描かれる。
当時は若者がアルバイトだけで生活しようと思えばそうできた時代でもあり、そのことは、今から見るほど不自然には感じられなかったことだろう。
少年であったぼくの感覚でも、「6畳一間に住んで新車のポルシェに乗る」という笑い話のような当時の若者像を、都会ならありえそうなこととして現実味を持って想像することができた。
『ハートカクテル』のようなおしゃれ(=なんにでもこの言葉がくっついた当時のマジックワード)な都市生活を一方では憧れをもって空想しながら、また一方ではこうした貧乏生活も、来たるべき近未来の自分の姿として、リアルな体感を持って予感していたように思う。
あのころは右肩上がりの経済を担保にした社会の風潮があったから、お金のない若者たちの中でも『ハートカクテル』と『大東京ビンボー生活マニュアル』は矛盾なく共存できたし、それぞれの世界が隣り合った場所にありながら断絶しておらず、互いを往来できる時代でもあった。
当時若者だった人びとの多くは、ぼくと同様に両者の中間地点のどこかを通って、いま現在にたどり着いているのではないだろうか。
この作品は、タイトルから連想されるような節約生活に役立つノウハウ本ではない。
日常ファンタジー漫画といったほうが適切で、それはそのまま、『ハートカクテル』以降の『菜』ほかのわたせせいぞうさんの諸作品の系譜にも連なるものだろう。
見た目はだいぶ違うけれどね。
この作品は、オリジナルのコミックスが絶版になってからも複数回、復刊再発売されていて、ぼくが持っているのは、上にリンクした総集編と、文庫コミックス版。
この「アイアン哲」さんのレビューに触発されて今回の記事を書こうと思った。
このレビューは2巻組みで出たバージョンの上巻のページについている。
くり返しになるけれど、帯にも描かれているような「節約術」の漫画ではない(ごく最初のころは作者もそれを目指していたらしいけれど)。
季節の移り変わりや、生活の細部に起こる小さなドラマを、おおらかなまなざしでほのぼのと描くコージーな連作短編漫画なのだ。