那覇市仲井真にあるダイレックス津嘉山店の裏に、妙にまっすぐな裏道があるなと以前から思っていた。
これは以前キャプチャしたGoogleマップだ。700m弱の直線の道路が、川やバイパスを横切りながら続いているのがわかる。
表通りの国道507号線と並走するでもなく、妙に律義に住宅地をまっすぐ突っ切って、製糖工場入り口の橋のたもとで途切れている。
この道が、先日も少しだけ触れた軽便鉄道の路線跡だということがわかったので、ちょっと行ってみてきた。
軽便鉄道那覇糸満線の跡
スマホの地図でも、この裏通りの直線ぶりはよくわかる。
中央の細くまっすぐな道がそれだ。
手前の¥マークの空き地には今は沖縄銀行が建っている。そこを少し入ると、目的の裏道の端に出ることができる。
仲井真・津嘉山側から入ってみる
橋の向こうの原っぱは、翔南製糖(旧琉球製糖)跡地。以前は高い煙突のある製糖工場があった。
2010年のストリートビューでその煙突を確認できる(Googleストリートビューより引用)。
橋のたもとには琉糖橋と刻まれていた。
裏道。一直線に続いている。戦前はここを汽車が走っていたのか。
望遠で見ても真っすぐだ。
川べりの道から降りて、すみません失礼しますと駐車場を横切る。
ブロックで階段がしつらえてあった。
さて歩いてみよう。
ダイレックスは佐賀県に本拠を置くチェーンのディスカウントストア。僕もよくお世話になっています。
この裏道は、ツタヤ国場店の駐車場ともつながっていた。昔はビデオを借りにここに良く通ったけど、最近はツタヤそのものにいかなくなったな。
道路を渡る
仲井真の那覇東バイパス(国道329号)に突き当たった。道はさらにその向こう側へもまっすぐ伸びている。
バイパスを渡った後で来た道を振り返ってみる。望遠の圧縮効果で短く見えるけれど、手前の道の入り口から二人の男性が立っているあたりまで200mほどある。
タクシーの営業所があった。そういえばいつかここを通ったことがあるのを思い出した。右側の建物のドアが開いているあたりで犬が飼われていたような記憶がある。
三和タクシーは今回撮った写真のあちこちに写り込んでいた。
ずんずん歩いていく。とくに目立ったお店のようなものも見当たらない、ごく普通の住宅地の路地の風景だ。
マンションの建物でシーサーがにらみを利かせていた。
愛嬌があるが、魔物に対する防御力が高そうだ。
橋を渡る
国場川に架かる橋に出た。
507号線のほうを望む。奥に見えている橋の、もう一つ向こうの橋の上に昔はバス停があった(今はどうか知らない)。なぜ日除けも何もない吹きさらしの橋の上なんかにバス停を置くのだろう。もっと前は左側のビルの前にあったんだけど。
橋を渡り終えて橋脚を見てみたけど、古い鉄道の遺構とかではなかった。
ちなみに真玉橋のモスバーガー国場店の道向かいのどぶに、この路線の遺構が保存されるでもなくわずかに残っている。
この煉瓦積みの部分がそう。いま歩いている路線跡をもっと那覇方面に上ったあたりだ。
空手道場の直書き看板があった。
こちらも直書きかと思ったら違った。フレームで取り付けてある。
直線の国場側に着いた
このコーポシロマあたりで直線が終わる。想像してはいたが、道のりの中で戦前を偲ばせるようなものには一切出会うことがなかった。
この先を左にカーブするように昔は線路があったという。さらにその先には国場駅跡地があるが、現在はそこまで昔の路線のとおりに道が通じているわけでもないし、当時の建物なども残っていない。
現場で一発手書きかなと思わせる味わいがある。直書き看板であると同時に水タンクでもあると思われる。
琉球銀行国場支店の脇に出てきた。
途中にあった空き地の木に正方形のチップが下がっていた。
これはテックス板と呼ばれるミカンコミバエの誘殺板。
80年代にミカンコミバエやウリミバエを根絶してからも、県内ではそれを維持するための努力が続いている。
声に出して読みたい店名。しゃことんすはりきゅういん。
いったいどういう意味だろうとずっと思っていたけれど、数年前にやっと判明した。由来はこちら。
表通りをバイパスまで戻ってきた。30分ほどの散歩でした。暑い日で、途中にあった教会の森ではクマゼミたちが力いっぱい鳴いていた。
三和タクシー、今でも日産CREWが現役なんだね。
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