このブログを始めて2か月になる。あらかじめ文章は「だ・である」体で書こうと考え、基本的にはそうしてきた。
しかし、書きたい内容によっては「ですます」体のほうがふさわしいこともあるし、そのほうが書きやすいと感じたこともあった。
最近ツイッターを始めたので、そこでも「ですます」と「だ・である」を両方使ってみている。そうしているうちに両者の使い分けについて一定の感触を得られたように思うので、現時点での考えをここに記録しておきたい。
ブログの文体は「ですます」が優勢か
僕はほぼ毎日ネットにアクセスしてなにかしらのページを閲覧しているので、個人が運営しているブログではどんな文体(文末)が採用されているのか、しばらく意識して確認してみた。
たとえばAmazonプライムについて調べると、検索結果に出てくるページはほとんどが「ですます」体。
しかし個別の商品に関するページでは、商品の性格によってかそれぞれ異なる傾向があり、「ダイソーのニス」や「カメラのレンズ」では「ですます」体が多いものの、ソニーのラジオを扱っている個人ブログ記事では「だ・である」体のほうが多かった。
「全体的には『ですます』が多いが、技術的な分野では『だ・である』も多い」ということが、まずひとつ言えるかもしれない。htmlやcssの解説記事には「だ・である」体のページが多い印象がある。
料理もとりわけ技術的な分野だが、ラジオのページと比べると「だ・である」は明らかに少ないので、内容以前に、書き手の男女の偏りも現れているだろう。
個人的か公共的かの違いで変える文末
僕自身が10年くらい前にしていたブログを「ですます」で書き、その時に「ですます」はなんだか歯切れが悪くてやりづらいと感じていたこともあって今回は「だ・である」にしているのだけど、それは当時のブログが写真と日記メインのブログだったからだろうか。
ざっくり言ってその記事の内容が主題に関する個人的な感想なのか、公共空間向けの情報提供なのかで採用される文末表現が変わるように思う。前者が「だ・である」に傾きやすく、後者は「ですます」に親和性があるというように。
他人に向けて書くなら「ですます」
以前このブログで書いた郵便局留めの記事は、意識しないで書くと自然に「ですます」体になった。
また、それならと思って初めて食べた食パンの記事を、こんどは意識して「ですます」で書いてみたら、自分で書いた記事じゃないみたいなふわふわした記事になった。個人的には失敗した感触の記事で、「ですます」のやりづらさというのは、僕には相変わらずあるようだ。
だから基本的にはこのブログは「だ・である」で書いている。
先日片耳イヤホンのレビューを「だ・である」で書いたが、文末に関しては違和感はない。
ただやはり、ほかの「ですます」体のブログを読んできた目で自分の書いたものを読むと、「だ・である」体というだけでぶっきらぼうな感じがして、もう少し丁寧に、読者への当たりを柔らかくしたい気持ちがある。
だから不特定多数に向けて情報を伝えたい場合は「ですます」で書けば違和感がないし、ブログの文体として適していると言えるのではないだろうか。
また、収益化したい商品レビュー記事も「ですます」にしたほうが無難だ。多くの商品レビュー記事は「ですます」で書かれている。
個人的なつぶやきなら「だ・である」
半月ほど前にツイッターを始めたので、そこではブログとは逆に「ですます」で書いてみることにした。
ところがフォロワーが一人もいないできたばかりのアカウントで何事かをつぶやくには、この「ですます」はとても相性が悪い。
語尾をですますにするか、だ・であるにするか、まだ迷います。ブログもツイッターも。20:28
— 堂周 (@dousyuOC) 2019年6月4日
誰も読んでないことを承知で書く「ですます」体の文章には、寂しさが漂う。
押し麦の入ったご飯はおいしいですね。年中おいしいけれど、夏場はさらに。19:40
— 堂周 (@dousyuOC) 2019年6月7日
心が騒ぎながらもこの上なく落ち着く独特の気分になるので、雷の夜はとても好きです。
— 堂周 (@dousyuOC) 2019年6月8日
現状、そんなことは誰も聞いていない。誰も聞いてないし誰にも届かないと分かっていて書くほうにも、度胸が要る。なにをつぶやいても、語尾を「ですます」にすると、夢見がちなおじさんの独り言みたいになってしまうのだ。
だからツイートも自然に「だ・である」に寄っていく。
きょうの那覇の最低気温は19度だったのか。どおりで肌寒いわけだ。
— 堂周 (@dousyuOC) 2019年6月17日
温かいのは便座だけだ。
— 堂周 (@dousyuOC) 2019年6月17日
これを丁寧語で「温かいのは便座だけです」…とつぶやくおじさんも面白いが、それを続けていく胆力が僕には足りない。
200ツイートほどする間に、他人に情報を伝えたいと思えば、文末は自然にですますになっている。
テキストデータの全角と半角を入れ替えるのに便利なWebアプリ。
数字のみ、記号のみとかも設定できます。
ブックオフオンラインでは書籍タイトルや巻数が全角英数字なので、買ったものを控えておくときにいつも使っています。おすすめ。https://t.co/UbqnpZ5hPe— 堂周 (@dousyuOC) 2019年6月10日
是枝監督の『ワンダフルライフ』は、直接的には時代性と無縁のテーマなのに90年代の香りが濃く漂う、印象深い、いい映画でした。
— 堂周 (@dousyuOC) 2019年6月17日
そして完全に私的な事柄は、である体でつぶやいている。
ごましおのふりかけおいしい。三色ふりかけでは最後まで残りがちだったごましおだが、今ならごましおが一番好みだ。ごましおだけでいい。
— 堂周 (@dousyuOC) 2019年6月22日
ツイッターでは今後もいろいろつぶやいてみて、両方の文末のフィット感と違和感を感じていきたい。
文章を公共空間に向けつつ個人をどの程度出したいか
このように独り言には「ですます」より「だ・である」が向いているのだけど、それはツイッターだけでなくブログにも言える。
これは単に「ラジオが欲しい」という気持ちのみを書いた記事で、発信したい情報はとくにない。こういう独り言的な記事は「だ・である」がふさわしい。
逆に、古紙回収のえこすぽっとの記事は「だ・である」で書いたけれど、このような情報提供型の記事では、検索してくる人々に向けてなんとなく文章が開かれていない気がして、どうしても「ですます」で書きたいという誘引力を感じながら書くことになった。
企業が運営して専門的な知識を持つライターが執筆する生活情報サイトなら「だ・である」でもいいかもしれないが、同じような内容でも、個人の資格で個人に向けて発信するブログでは、独り言あるいは偽物の雰囲気が出てしまい、「ですます」のほうがフィットするようだと何度か書きなおしながら思った。
今後は「だ・である」を基本にしつつ、それでもある程度くだけた調子を持つような柔らかめの文体を目指していきたい。
それには企業サイトのライターがあまりやらない感情表現の導入も手立てになるだろう。偏見を含む管理人のパーソナリティの反映も、「ですます」よりは「だ・である」体のほうにすんなり乗りそうだ。
(仮構でもいいけれど)個人的な生活のようすや近況をある程度明らかにしていくことも、ブログの文章の説得力のベースになるはずだし、またそんな部分こそ個人ブログの個性でもあるだろう。「だ・である」と「ですます」を自由に試しながら、しっくりくる文体を見つけていきたい。